近世史講義 (ちくま新書)
本,高埜 利彦
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によって 高埜 利彦
4.9 5つ星のうち 3 人の読者
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作者 : 高埜 利彦
コレクション : 本
ISBN-10 : 4480072829
発行日 : 2020/1/7
本のタイトル : 近世史講義 (ちくま新書)
平均的な顧客フィードバック : 4.9 5つ星のうち(3人の読者)
ファイル名 : 近世史講義-ちくま新書.pdf (サーバー速度26.42 Mbps)
ファイルサイズ : 19.88 MB
内容紹介 新書 歴史(日本史) 内容(「BOOK」データベースより) 日本の近世史については、近年さまざまに研究が進展しているにもかかわらず、その成果が一般に知られていない。江戸時代がユートピアであったかのように評されたり、反対に女性が虐げられていた時代であったと強調されたりといった極端な議論が近年も見られる。そこで女性が江戸時代に果たした役割や、女性が時代を担って改革した力について第一線の研究者が実証研究に基づき考察を加えつつ、近世の通史としても読める形でわかりやすく講義を展開する。全く新しい形の入門書。 商品の説明をすべて表示する
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内容紹介 新書 歴史(日本史) 内容(「BOOK」データベースより) 日本の近世史については、近年さまざまに研究が進展しているにもかかわらず、その成果が一般に知られていない。江戸時代がユートピアであったかのように評されたり、反対に女性が虐げられていた時代であったと強調されたりといった極端な議論が近年も見られる。そこで女性が江戸時代に果たした役割や、女性が時代を担って改革した力について第一線の研究者が実証研究に基づき考察を加えつつ、近世の通史としても読める形でわかりやすく講義を展開する。全く新しい形の入門書。 商品の説明をすべて表示する
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織豊政権期から始まる日本近世史においてはまず、「政治史や経済史・社会史・百姓一揆研究などが蓄積され」(p.258)、例えば政治史においては、「長らく、幕政史・藩政史の枠組を基本に成果」(p.117)が積み重なれてきた。しかしながら、「おわりに」で編者の高埜利彦教授が述べるように、1970年代以降は、「対外関係史は鎖国論に代わり「四つの口」論で説明されるようになり、都市史や身分制論、朝幕関係史、宗教社会史」(p.258)そして何よりも女性史などに研究が蓄積されてきている。本書は、そういった研究の最前線をコンパクトに分かりやすく一般読者に供することで、新たな江戸時代像の提供に成功している。まず為政者層の女性という点から見ると、第1講「織豊政権と近世の始まり」で述べられているように、「大名の妻子や重臣を人質として中央に、大名家臣の妻子を大名の城下に集める」(p.15)という豊臣秀吉による大名統制の方策は「江戸幕府にも引き継がれることに」(同)なり、「こうして近世の武家女性は、豊臣・徳川の武威による「平和」の下で、人質として、形式的には「囚われの身」と」(同)なることになった。しかしながら、「当主と男性家臣で担われる表向(おもてむき)」(第7講「武家政治を支える女性」、p.117)に対して、「当主とその家族の日常空間」(同)である奥向(おくむき)の存在感は増し、第2講「徳川政権の確立と大奥-政権期(ママ)の成立から家綱政権まで」の最後で述べられているように、家光期以降、「大奥に仕える女中たちが表向の人事」(p.42)など「幕府の意思決定に」(同)「関与する構造はその後も連綿と続けられることになる」(同)。それが将軍家のみならず、大名家にあっても同様に、「正室や後家は、家の相続をめぐる場面で、判断の拠り所とされ、意思決定に主導な役割を」(p.119)果たしていた例が取り上げられているのが、第7講「武家政治を支える女性」である。もちろん、彼女たちの発言力の背景には、出自などの正統性があってこそという点についての指摘も忘れられてはいない。この第7講では、奥向を支えた女性たちの階層の多様性や、女性を始祖とする武家の創出の実態など、興味深い事項も合わせて紹介されている。さて、徳川綱吉から「田沼意次が権勢を振るった十代徳川家治政権の時期に当たる」(第6講「元禄時代と享保改革」、p.99)「十七世紀後半から十八世紀の後半にかけての百年間は」(同)、「いわば現代でいう「右肩上がりの経済成長期」であった」(同)。この前提として「東アジアの平和の到来」(p.100)があったことは忘れてはならないであろう。また、この時期に定着していった「穢れ」の概念は、現代にも残滓が残る「女人禁制に結びついた」(p.106)ことも強調されねばならない。この点に関しては、最終の第14講「女人禁制を超えて-不二道の女性」が、富士登山を例にして、興味深い論点を提示している。即ち、近世においては、「女人禁制や女人不浄観が社会全体に広まるいっぽうで、女人禁制の形骸化が始まった時代だった」(p.242)という相矛盾した点が、富士登山に見出されるという点である。ここで登場するのは山岳宗教の一派で「江戸の俗人行者の食行身禄(じきぎょうみろく)」(p.243)の教えに基づく不二道。食行は、いわば現代で言うところの男女同権を主張し(ちなみに、第14講執筆者の宮崎ふみ子教授によると、「女人禁制に対する批判は、日本史の中で意外なほど少ない。管見の範囲では、食行以前に批判したのは道元だけである」(p.148)とのことである)、不二道は男女信者の一斉登山を目指した。それまでは戦国期と比較して女人禁制が緩やかになってきたものの、この動きが、気象異変などと結び付けた地元の反発を巻き起こし、かえって富士登山の女人禁制は厳しくなってしまったのである。これは、「社会的通念に支えられた慣行を変える」(p.253)ことの困難が浮き彫りにされた例と言えるであろう。なお、宗教ということで関連すれば、第8講「多様な身分-巫女」においては、「近世は神仏習合でありながらも、身分の成立とともに神職と僧侶は明確に区分されていくが、女性は身分の主体ではなかったから、神仏習合を維持し続けた」(p.141)とあり、このような「伝統」の維持に果たした女性の役割という観点から見て興味深い。その他、第3講「天皇・朝廷と女性」と第4講「「四つの口」-長崎の女性」においては、それぞれ、朝幕関係史と対外関係史の研究進展を踏まえつつ、女性に焦点を当てた叙述を行っている。前者においては、天皇の后の位置付けや皇女の処遇の実態などが解説され、対照的に後者は、中国とオランダと関係する長崎、朝鮮と関係する対馬、琉球と関係する薩摩、そしてアイヌと関係する松前、という「四つの口」の中でも、長崎の遊女に焦点を当てている(なお、「四つの口」論については、最近出版された荒野泰典『「鎖国」を見直す』が基本的な解説を与えているので、興味ある読者はそちらも合わせて読まれたい)。遊女は、新たな家族関係にはつながらないということで、オランダ人や唐人との接触禁止の例外とされていた。この背景としては、近世においては「売春の形態が多様化し」(p.74)売買春が日常的に組み込まれた社会構造がある。そしてこの問題は、第13講「遊女の終焉へ」でも取り上げられることになる。「中世の遊女は、・・・主に女系で家業を継承していく自営業者であった」(p.221)のに対し、「戦国時代以降、男性の遊女屋が女性たちを抱えて売春をさせる」(同)という仕組みに変容する。そして、江戸時代に至り、「幕府は、公認遊郭のほか、宿場、湊町などに飯盛女(飯売女)、洗濯女などを置くことを許可し、売春営業を黙認した」(p.222)のである。これを象徴しているのが新吉原遊郭であり、幕末に至っては、「京都の本山や公家、さらには北信濃の豪農まで」(p.223)もが、遊郭経営に対する投資を行い、収益を得ていたという構造までも生み出された。今までは比較的都市部の女性たちに関わる諸論点であったが、農村部の女性たちはどうであったのか。第5講「村と女性」においては、夫と共に農業に従事し、生計を立てることが期待されていたと同時に、「妻は家内労働にも携わっていた」(p.88)実態が描かれる。もちろん、「一般的な小経営の百姓家族で、女性の職分が理想的な姿で実現していたとは考えられない」(同)が、「女子が寺子屋に通うことが珍しくない十九世紀前期には、百姓の家においても、女性の職分という通念が生まれていたものと考えられるのである」(同)。なお、この第5講においては、武家を扱っている第7講と同様に、女性による相続や女性の名主について取り上げられている、と同時に加えて、百姓女性の財産の実態についても述べられている。更には、第12講「近代に向かう商品生産と流通」では、幕末期に向かうにつれ、各地域の特産品が廻船を中心とするネットワークによって流通したことにより「好みに応じて物を選んで買える社会」(p.218)が成立した時期にあって、女性が機織りのみならず、働き手として重要な役割を担っていたことが指摘されている。さて、東アジアの平和に支えられた江戸時代の発展は、ロシアの接近やイギリス船の度重なる出没によって陰りを見せ始め、為政者層に危機意識をもたらした。それについては、第10講「寛政と天保の改革」が解説しており、こういった「外患」のみならず、農民一揆や打ちこわしも頻発して、「内憂」も同時に深まってゆく。第9講「対外的な圧力-アイヌの女性」において述べられているように、そもそも「日本がロシアの存在を初めて把握したのは、十八世紀末のこと」(p.152)であり、そもそもそれが「南下」であるという認識すらも当初は定かではなかった。その状況に対処するため、幕府は、「一七九九年、ついに蝦夷地の南半分、東蝦夷地と呼ばれた地域を」(p.157)「直接支配する体制」(同)に切り替える。この過程において、「幕府はアイヌの風俗を日本風に改めさせることにより、ロシアに対してそこが日本の所属であることを視覚的訴えようと目論んだ」(p.161)のであるが、この「風俗改めに応じた女性は男性に比して少なかった」(同)ことから、女性の方がより抵抗の意識を持っていないのではないかということが示唆される。また、第11講「女性褒賞と近世国家-官刻出版物『孝義録』の編纂事業」では、この時期においては幕府は、各地の功労者をリストすることで「「国民」教化という目的をもって出版されたものとして捉えられている」(p.184)『孝義録』の編纂を行っており、そこで登場した「孝女はつ」のエピソードの伝播から、(森鴎外の史伝三部作で描かれているような)当時の知識人ネットワークの形成を推し量ることが出来る。以上で紹介したように、織豊政権(第1講)と徳川政権の始まり(第2講)に始まる時代、続いて、元禄時代と享保の改革に対応した時代(第6講)、そして、寛政の改革・天保の改革以降幕末が始まるまでの時代(第10講)に関しては従来の政治史からの叙述に基づく通史を軸としながらも、この時代に生きた多様な女性たちに光を当てていくという、極めて斬新で工夫の凝らされた画期的な啓蒙書である。
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